大阪市中央区、本町。
地下鉄を降りて、徒歩1分。ビルのエレベーターを上がると、2フロアから3フロアにまたがる約200坪の空間が広がっている。リング、サンドバッグ、汗と革の匂い。
大阪誠至会。
あそこが、僕の格闘技の「実家」だ。
僕は誠至会の選手だった
今は高槻でTURN UPというジムを経営しているが、僕の選手時代の所属は誠至会だった。
キックボクシング2冠——その勝利も、敗北も、修行も、全部あの道場で積み上げた。初めてリングに上がった緊張も、タイトルマッチの前夜の感覚も、全部誠至会という場所と結びついている。
今こうして自分のジムを持って、会員さんたちにミットを持っていると、ふと誠至会での日々が蘇る。
あのとき、僕は教わる側だった。
200坪の道場が教えてくれたこと
誠至会は大きなジムだ。
プロ選手が本気でスパーリングをしている隣で、初心者が恐る恐るジャブを打っている。タイ人トレーナーのルンローが、ムエタイの技術をそのまま日本に持ち込んだ指導をしている。あの圧倒的な実戦経験——ルンピニーで130戦以上——から紡ぎ出される言葉は、教科書には絶対に載っていない。
僕はあの場所で、「本物の格闘技」というものを体で覚えた。
広い道場で、強い選手たちに囲まれて練習するということは、自分の弱さが常に可視化されるということだ。誤魔化しが効かない。サボれない。上には上がいる、ということを毎日突きつけられる。
それが、きつかった。
でも今振り返ると、それが一番の財産だったと思う。
チャンピオンになった日のこと
タイトルを獲ったとき、僕が最初に思ったのは誠至会のことだった。
道場の仲間の顔。先輩の顔。ミットを持ち続けてくれたトレーナーの顔。試合前の追い込みで何度も限界を超えたあの時間。計量で死にそうになりながらも「これが終わったらラーメン食うぞ」と思って乗り越えたあの瞬間。
全部、誠至会という場所があったから積み上げられたものだ。
僕一人の力でチャンピオンになったわけじゃない、ということを、あの瞬間に改めてわかった。
独立するということ
選手を引退して、指導者になって、高槻でジムを開いた。
独立するというのは、「巣立ち」だ。育ててもらった場所を離れて、自分の足で立つということ。嬉しさと、寂しさと、怖さが全部混ざった感覚がある。
僕はTURN UPを作るとき、誠至会で学んだことを全部持って出てきた。技術だけじゃない。ジムの空気の作り方。強い選手と初心者が同じ場所で存在できる道場の姿。誠実に向き合うこと——「誠至会」という名前そのものが、僕に教えてくれたことだ。
望郷
望郷、という言葉がある。
故郷を懐かしく思う、遠くから帰れない場所を想う気持ち。
僕にとっての格闘技の故郷は、本町のあのビルの中にある。今も誠至会は現役で動いていて、新しいチャンピオンを育て続けている。僕はそれを高槻から、少しだけ誇らしい気持ちで眺めている。
同じNJKFの旗の下で。同じ格闘技を愛する者として。
でも、立ち位置はもう違う。僕は今、教える側の人間だ。会員さんたちにとっての「ジム」が、僕にとっての誠至会であれるように——そういう場所をTURN UPにしたいと、毎日思っている。
誠至会が僕に与えてくれたものを、今度は僕が高槻で返していく。
それが、恩返しだと思っている。